Lv100第十三話
「霜の巨人 -晶(あきら)とメガぴょん-」
登場古生物解説(別窓)
 私がまだアルバイトだった頃。この市民農業公園のふれあい牧場に、恐竜の子供がやって来た。
 長い首に長い尻尾、丸い胴体に真っ直ぐな四本足。竜脚類、いわゆる巨大植物食恐竜の仲間である。
 きっと天を突かんばかりに大きく育つだろうという期待と、丸っこい顔や肢体の可愛らしさから、その子は近所の子供達によって「メガぴょん」と名付けられた。

 それからたったの六年で、メガぴょんはもうとっくに成長しきってしまっていた。
 全長は――六メートル。半分以上は細長い首と尻尾だ。肩までは、私の背より頭半分高いくらい。
 中途半端に大きいこの体が、エウロパサウルスのれっきとした成体の体格である。
 成体の証拠に、頭はすっかり角張って、四肢は丸太のような柱に育った。黒と黄色の鹿の子模様だった肌もかすかに緑がかった明るい灰色に変わり、斑点が顔と首にうっすら残っている。
 無料の農業公園にぴったりの小さな巨人だ。
 少し前が高い背中から首が真っ直ぐ続き、その先の口元はそれなりの高さになる。
 しっかりした柵に囲まれた放牧場には、口に合わせた高さの鉄柱に餌籠を取り付けたものが林立している。これらに園内外の畑で育った葉物を初めとした植物を積んでおけば、メガぴょんは楽に食事ができる。
 もし籠のうち一つだけに餌を集中させれば、メガぴょんはその様子をちゃんと認識するので、呼び寄せたい位置に誘導することもできる。
 何のために誘導などするかといえば、柵の外に並んだ子供達のためだ。
 小さな男の子が階段を上がって、メガぴょんの背中に近付いた。そこで躊躇って止まるので、両脇から抱えて持ち上げた。
「驚かさないように、じっとしてね」
 男の子はメガぴょんの背中の上で、言いつけられるまでもなく呆然と目を見開いている。
「タケちゃん、こっち見て!あ、先生もお願いします!」
 柵の外から携帯で写真を撮る母親のほうが賑やかだ。エプロン姿の私を保育士的なものだと思っている。
 当のメガぴょんは子供達を上げ下ろしされることにすっかり無関心になってしまい、キャベツや大根の葉の切れ端を次々とつまんでは飲み込んでいる。
 竜脚類の背中に乗るという恐竜文化始まって以来の憧れのイベントが、こうして毎週のどかに執り行われている。
 メガぴょんの成長を見届けた子達は、実は割を食う形になってしまった。メガぴょんが子供を乗せられるようになる頃には、子供達のほうも年齢制限に引っかかってしまったのだ。
 そのうちの一人が、今木陰のベンチに座っているTシャツにホットパンツの女の子だ。
 名前を千草といい、メガぴょんが生まれたときからここに通ってメガぴょんの成長を見つめてきた。
 さっきからずっと不機嫌そうな顔をしてこっちを見ている。
 ただし不機嫌なのはメガぴょんの背中に乗れないせいではないはずだ。当時大泣きしてそれっきりで済み、触るだけのイベントでも小さい子に譲るようになったのだから。
 イベントの時間が終わると、私は千草のほうに向かい声をかけた。
「チグ、どしたん」
「アキちゃん、これ。駅で配ってた」
 千草はそう言ってペラ紙を一枚突き出してきた。
 受け取ってみると不穏な見出しが目に飛び込む。
 [市民農業公園の無責任な恐竜飼育!]
 しかし私の緊迫感は十秒と保たなかった。本文の要旨はこうである。
 [二十メートルをゆうに越えるというブラキオサウルスを今は小さいからと見世物にし、飼いきれなくなるまで成長したら一体どうするつもりなのか]
 内容を飲み込めば飲み込むほど笑わずにはいられなかった。
「笑い事じゃないよ!」
「だ、だってブラキオって……こんなとこにいたら大騒ぎだっつーの!」
 大型竜脚類の再生は国際的な取り決めにより厳しく取り締まられている。現在国内で見られる最大の竜脚類は、エウロパサウルスの倍もないフクイティタンだ。
 要するに、大雑把な外見だけで勘違いして、もしくは知った上でわざと、こんなところに超巨大恐竜ブラキオサウルスの子供がいると大騒ぎしている団体があるのだ。
 千草はスマホを取り出した。操作しながら、引き続き憤っている。
「ブラキオとエウロパじゃ顔が全然違うじゃん!」
 竜脚類の見分け方のサイトが表示された。
「うんうん」
「エウロパサウルスだってちゃんと言ってるのにさ!」
 続いて、ここの公式サイト。
「うんうん」
「大体エウロパはもう家畜化されてるんだよ!?こいつら全国の恐竜農家にいちいちそれはブラキオだって言ってまわってんの!?」
 家畜としてのエウロパサウルスを紹介するサイトだ。
「うんうん」
「全部調べればちゃんと分かるのに!」
 千草はどの情報も簡単に手に入ることをきっちり示していた。
 なんと見事な手際であろうかと感心していると、千草の矛先がこっちに向いた。
「アキちゃん怒んなくていいの!?」
「え?だってほら、私はただの市の職員ですしおすし」
 ふざけてそう答えると、千草の表情は憤怒から呆れと失望に変わった。いかんいかん。
「上の人にも伝えて冷静に対処するってことだよ。誤解を広める人がいるんだったら、誤解じゃない情報をもっと早く広めないと」
「ホントに?」
「ホントに。でもチグ偉いね」
「何が?」
「そのチラシ、怒って捨てないでちゃんと読んで反論しようとしてて」
「だって、それじゃこの人達黙んないし」
 まだ小学生だとは思えない賢明な態度だ。調べ物をするのに必要な興味や技術もある。
 世の中の人達は、彼女と違っていちいち調べるほど興味や技術を持たない。調べたふりをしている団体は、広く世間に対して説得力を発揮するだろう。
 農業公園自身がもっと説得力のある言葉で上書きしていかねばならない。
 例えば、自転車を押しながらそこを歩いている、農場に野菜を買いに来た主婦の人だとかに届くように。
 などと考えていると、その人がこちらに向かってきた。
「あの……」
 不安げな表情で話しかけてきた。
「この恐竜、大きくなりすぎちゃうかもしれないって聞いたんですけど」
 私は千草が立ち上がるより前にそちらに手の平を向けて抑え、まずは主婦の人に笑顔でこう言った。
「この子はこの恐竜がここに来たときから見にきてくれてたんですよ。この恐竜のことなら私より詳しいです」
 それから、千草に話を振る。
「メガぴょんが今の大きさになったのはどのくらい前だった?」
 千草はきょとんとしている。気付け気付け。
「三年前。それからもう大きくなってない」
 気付いた。
「そうだね。三年前にもう大人になっちゃったんですよ。そういう種類なので」
「あ、ですよね。なんだか、すごく大きくなる種類だって言ってる人がいたので」
「似てるから勘違いしちゃったんでしょうね。農家さんで普通に飼われてる種類なので、大丈夫ですよ」
「よかったです」
 その人は安心した顔で去っていった。
 当のメガぴょんは、全く関心の外、といった風情で籠から野菜をむしり取っているだけだ。
「間違える程度の人らに負けたりしないよ。こっちは最初からずっと見てるんだから」
 私はそう言って千草に笑いかけた。
 千草は、なぜか眉を沈めた力のない顔で私を見ている。怒りは消えたが、まだ他に何かある。
「どうしたの」
「私、私は……、もうずっとは見れないの」
「え?」
「今度、隣の市に引っ越しちゃうから。だから、もう、あんまり来れないの」
 語尾を詰まらせ、顔を伏せる。
 千草は三年ぶりにここで泣いた。
「最後なのに、こんなの」
 手の中のチラシが握り潰されていく。
 千草はもうずっとメガぴょんのことを気にかけ、私とたくさんの言葉を交わしてきた。メガぴょんを見守る仲間になっていた。
 その親友が別れを打ち明けて泣いているというのに、かけるべき言葉が上手く見つからない。私がただの市の職員じゃなくて、ちゃんとした教育者だったらよかったのに。
 視線が宙を泳ぎ出す。
 その先に、メガぴょんが助け舟を出していた。
 メガぴょんがじっとこっちを見ている。
 顔を餌籠から離し、首を柵の外に伸ばして。
 私に餌のおかわりをねだっているのではない。私ではなく千草を見ている。
 うずくまった肩を揺さぶってやると、千草もメガぴょんの視線に気付いた。
 さして高度な感情のないはずのメガぴょんにとっては意味のないことのように思える。それでも、しょっちゅうそばに現れていた千草の異状を認識し注目することぐらいはする……のだろうか。
 千草が顔を上げて静かになったからなのか、メガぴょんは首を籠のほうに向け直して長い食事に戻った。
 私は、千草の手からそっとチラシを取り上げた。
「これのことは私に任せて。上の人とちゃんと話し合うから。今日は、閉園までいてよ」

 閉園のチャイムが鳴り終わるまで千草はベンチから動かず、じっとメガぴょんを見ていた。
 流石にばれたらまずい。あまり時間がない。私は大急ぎで、籠の中に新しい餌を少しだけ載せた。
 メガぴょんがこちらに首を向け、歩き出した。まだ食欲があったのだ。私はほっと息をついた。
 再び、メガぴょんは騎乗体験の受け付け位置に立った。
「チグ、早く」
「えっ……、だって」
 千草は立ち上がったまま動かない。
「年齢制限はメガぴょんの負担を減らすためじゃないよ。私も試しに何回も乗ってるし」
「は!?」
「チグが怒ると思って黙ってた。ごめんね」
 ぺろりと舌を出してみせると、千草が駆け寄ってきた。
 ただし、台に上がるときだけはメガぴょんを驚かさないように、勢いを落とした。
 そして、そっとメガぴょんの腰の上へ。
 三年間お預けになっていた体験が、今やっと叶った。
「アキちゃん、ずるい」
「ごめんって。チャンスがあったらチグにもと思ってたんだけど」
「乗ってたことじゃないよ。メガぴょんのことで秘密があったこと」
「あー……」
 千草の声は怒ってはいない。
 視線は同じ高さにあるメガぴょんの頭から離れず、両手はメガぴょんの背中にぴったりとくっつけられていた。
 わずかに温かい体温、呼吸による気嚢の伸縮、頭から首を通じて伝わるかすかな揺れが分かるはずだ。
「向こうに行ってもサイト見てるし、たまには来るから。私が見てないと思ってちゃんとしてなかったら、怒るよ」
 振り返った千草はもうすっかり笑顔になっていた。
「うん。ツッコミよろしく」
 私がそう答えた直後、メガぴょんが少しだけ口の動きを止めた。
 食事をやめて歩き出したら厄介だ。
「プウウウ」
 メガぴょんは短く鼻を鳴らした。
 そして、それだけで特に何もせず、また野菜を食べ始めた。
 なぜメガぴょんがそうしたのか、私にも、もちろん千草にも分からない。
 私達は顔を見合わせ、それから声を上げて笑った。
 メガぴょんの考えていることなどよく分からない。ただここにこうして、エウロパサウルスという種のうちの一個体として健康に暮らしている。
 それこそが、私達が喜び守るべき事なのだ。
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