Lv100第十一話
「ペリュトン -沙羅と椿と翼竜舎-」
登場古生物解説(別窓)
 ある偉大な先人はこう言った。「我々がプテラノドンにしてやれることは何もない」。
 そのとおり。少なくとも私の働く花鳥園程度では、翼長七メートルに達する巨大さと体重二十キロに満たない繊細さを併せ持つプテラノドンに満足な暮らしをさせることなどできはしない。人類の誰にもできないかもしれない。
 だがしかしここには翼竜がいる。プテラノドンと同じ皮の翼と長いクチバシを持った、白亜紀の飛翔動物が。
 毎週の休園日。デッキブラシとバケツを手に誰もいない野外ステージを横切り、敷地の奥の、後から追加された建物へ。
 他の温室とあまり変わらないだろうと思って入ったお客さんはびっくりするし、今ぐらいの季節だと、ちょっとがっかりされることもある。ここは温室の逆、気温十四度に保たれた冷室だ。
 ハーフミラー張りの丸い天井の下で、同じく丸い池が三十メートルの建物いっぱいに広がって鈍色に光る。お客さんの声もないと、いっそう冷涼に感じられた。
 淵には化石から再生された植物たちが生い茂っている。どれもが原色の花びらを咲き乱れさせて……いない。
 白亜紀前期の世界にそんなもんはない。どこもかしこも渋い緑の岸辺である。現世のジャングルとは違うのだ。太古の昔には現在の未開の地そっくりの熱帯雨林が広がっていただろうという素朴な思い違いを、ここはばっさりと切り捨てる。
 だからといって、白亜紀前期の中国大陸に広がった湖が一から十まで冷え冷えとした寂しいところだったとは言えない。
 派手なのは植物ではなく動物のほうだ。
 暗い湖面を、輝くように白い翼がそっと撫でていく。それは一つではなく、十一羽が入れ替わり飛び交っている。
 プテラノドンの遠い親戚、ハオプテルスは、翼長一メートルを超える程度の小さな翼竜である。
 まったく不釣り合いなほど長い翼で宙を行く様は、化石の再生技術より前にある学者が「生前の翼竜は生きた帆船のようなものだっただろう」と想像したとおりだ。
 張り詰めた皮膜はうっすらと光に透け、動作は非常にゆったりとしている。もし翼竜舎の外に出れば、荒々しい現世の気象によってたちまち紙切れ同然に吹き飛ばされてしまう。
 ただのんびり浮いているばかりではない。時折急降下し、音と飛沫を上げて水面を破る。
 長いクチバシは尖った牙の並ぶ漁具で、獲物は手の平に乗るような小魚だ。この魚も化石から再生された種類で、リコプテラという。
 体を起こして岩棚の上に舞い降り、翼を畳んで四つ足になると、ハトくらいしかない。ほとんど翼とクチバシだけのこの生き物は、たった一尾の小魚で身重になってしまう体を白い毛皮に包んで休める。そうしていると尾のない折り鶴に見える。
 もっとはっきりと派手なのがゲゲプテルスだ。
 水草の間、餌の湧き出る配管の周りから、さかさかと細かな水音がいくつも重なって聞こえてくる。
 そこに佇む真っ赤な八羽は手を水底についたまま、ハオプテルスのよりずっと細長いクチバシを水に繰り返し差し入れている。細い歯がびっしりとはみ出したクチバシは、小さな餌を掬い上げる網となる。
 こうしてかき集めて飲み込んだ餌から、赤い色素を集めて毛皮に蓄えるのはフラミンゴと同じだ。違うのは、黒い部分がどこにもないことか。それに体毛だけでなく地肌まですっかり山茶花色に染まっている。
 外側を廻る通路をデッキブラシでこすりながら近付くと、ゲゲプテルス達は慌てて四肢を動かし私から離れようとした。だが走ることはできず、ぎくしゃくとぎこちない歩み。そんなに飛び立つのが面倒になるほど私に慣れてしまったというわけだ。
 一周磨き終えてデッキブラシを立てかけ、出入り口の脇にある巣箱の鍵を開けて、中の紙束を取り出した。
 ざっと目を通す。……ああ、今週も同じ調子か。この後に来る研究者にこぼす愚痴のネタができたぞ。
 次はバケツを取って擬岩の階段を登り、ハオプテルス達の休憩所の裏へ。
 素早い子が何羽か、手の爪で体を押し上げて水上に逃げていった。こちらはゲゲプテルスと違って割とすぐに飛び立てる。
 鈍臭くて餌を取れない子が都合良く残った。むしろ私が餌を手渡ししてくれるのを覚えて逃げなくなったのか。三角のクチバシをこちらに向けて開いてくるのは、ちょっと威嚇しているようにも見えるが。
 バケツの中から池にいるのと同じリコプテラをつまみ出し、クチバシに差し込んでいく。
 それも済んでベンチに腰掛け、研究者を待つことにした。翼竜達の様子を見ながらさっきの紙束を読んでいれば時間は潰せる。
 ほら、もう来た。
 騒がしい足音が近付き、入り口が勢い良く開いた。
「てれってれってー!てれってれってー!てれってっ!てれってっ!てってってれれれー!」
 なぜか昔のゲームのジングルを声高に口ずさみながら、白衣を羽織り三脚を背負った女の子が押し入ってきた。
「つばきちさん、悪のロボットだったんですか」
「ふははははー!今日こそ翼竜舎を明け渡すのだ、さらさら!」
 私とあだ名で呼び合いツッコミに乗り返してくる彼女こそ、ここのゲゲプテルスを研究材料に選んだ研究者である。本名は椿という。
 女子高生くらいにしか見えない、いや二つ結びにした髪のせいで中学生に見えかねないが、恐ろしいことに二歳年上の大学院生だ。白衣はファッションに過ぎないのだという。
「どーぞどーぞ、それじゃあ私が大学に行きますからつばきちさんがこの子達の世話してください。あと餌のリコプテラも」
「そうさせてくれよー、研究マジかったりーよー……」
「マジかったりーんなら嫌ですよ。自分でやり遂げてください」
「嘘々、超楽しい!さらさらにもやらせてあげたいなー!」
「超楽しいんならきっとつばきちさんの天命だったんですよ。ガンガン取り組んでください」
「四面楚歌!」
 言葉面は無為に騒がしいが、一応翼竜達を驚かさない程度にボリュームを抑えている。
 つばきちさんは白衣をふわりとひらめかせながら跳ねるように通路を進み、所定の位置に三脚を置いた。
 ゲゲプテルスが群れる位置には、赤い菱形の板が小さな道路標識のように立っている。つばきちさんのここでの主な作業は、標識ごとゲゲプテルスの群れを撮影することだ。
 翼竜には全て見分けが付くように各色の細い首輪が二本巻いてある。これで個体を識別しつつ、標識と毛皮の色を比較することで、各個体の毛皮の赤みを他の個体や以前の記録と比較することができる。
 研究がつばきちさんの天命だと言ったのは半分本気だ。愚痴をこぼしてはいても、翼竜を見つめるつばきちさんの目はときに鋭く、ときに優しい。私を含めここの職員の誰も、つばきちさんほど真剣な顔で翼竜と向き合えないかもしれない。
 そんなつばきちさんの姿をじっと見下ろしていると、撮影が済んだのか顔を上げた。
「なんだよ〜、私がゲゲちゃん達にハアハアしてる姿がそんなに魅力的かよ〜」
「まあ、つばきちさんの観察記録ってのも興味深そうですけどね」
「さらさらはエッチだなあ」
 つばきちさんは当然のように階段を上がって関係者専用スペースに上がり込んできた。休憩していたハオプテルスのうち数羽だけが飛び出し、空中に帆を広げた。
 ベンチの空きに座ったつばきちさんに、USBメモリを手渡した。ゲゲプテルスの行動を記録した映像が収められていて、毛皮の色と群れの中での順位の関係などを知る手がかりになるのだ。
「ありがと。みんな元気でしょ?」
「はい」
 つばきちさんも前回分のUSBを返してきて、つばきちさんの用事は終わった。のだが、毎回それだけで帰ることはない。映像による観察だけでつばきちさんの気が済むわけもなく、いつも飽きることなく翼竜達を眺めていくのだ。
「お便り紹介のコ〜ナ〜」
「わ〜」
 そう唱えてさっきの紙束を取り出すと、つばきちさんも拍手と歓声で応えてくれた。
 見学者さんが翼竜舎の感想を書き込んだ、アンケート用紙一週間分である。
「えーっと、まずは定番のやつから。「プテラノドンがいっぱいいた」「プテラノドンは思ったよりずっと小さかった」「ここのプテラノドンはみんな子供なんですか」「角はシカみたいに切るんですか」と」
「やめたげてよぉ!」
 つばきちさんは大袈裟に顔を手で覆って叫んだ。ぶっちゃけ私もそのくらいしたい。
 大きな解説板にしっかり「ハオプテルス」「ゲゲプテルス」と書いてあるにもかかわらず、翼竜すなわちプテラノドンだという思い込みが圧倒的に勝っている。
「歯生えてるじゃん!「歯のない翼」って意味だよプテラノドン!」
「動物に興味がないとこんなもんですよ。知ってる種類しかいないと思ってるっていうか、お勉強はしたくないと思ってるっていうか」
「さらさらは開園日にお客さんと話したりするもんね……」
 すっかりしおらしくなってしまった。残念ながらこんなもんでは済まない。
「こっちのが「赤いヤツ不細工すぎワロタ」と」
「なんだとこのやろう」
 ちょうど一羽のゲゲプテルスが気まぐれで飛び立ったところだった。クチバシから爪先、翼の先まで、目を見張るように鮮やかな真紅。美しくないところがあるとしたら、ブラシのように生え揃った細かな歯だろう。そのご面相が面白がられたようだ。
「ホントだ……こりゃ赤い!」
「赤さはどうでもいいー!」
 ネタが分かったのが嬉しくて乗っかってみたが、
「どうでもよくないよ!?赤さが私の研究テーマだよ!?学位がアレするよ!?」
「じゃあネタ振っちゃダメですよ!」
 どちらにしろ騒がしさ、もとい、明るさが戻った。
「えー、こっちは一応誉めてますけど、「花鳥園なのに始祖鳥も見れてよかった」「赤い始祖鳥と白い始祖鳥どっちも綺麗だった」と」
「は?あ、シノちゃん来たシノちゃん」
 ここには始祖鳥に近い種類の生き物も一匹だけいる。それが今階段を昇ろうとしている細長い脚と尾の生えた毛玉、小型恐竜シノヴェナトルのシノちゃんである。ただし、赤かったり白かったりはしない。茶色と黒の羽毛に覆われていて、しいて言えばシギか何かの浜辺の鳥に似ている。
 シノちゃんは脚を揃えて素早く蹴り、羽の生えた小さな手もぱたぱた動かしながら一段一段飛び跳ね、つばきちさんに近付いてきた。
「シノちゃん始祖鳥じゃないもんねー」
 そう言って小さな頭を撫でるつばきちさんは気付いていないらしい。
「翼竜のこと始祖鳥って言うんだと思ってる人も多いみたいですよ」
 撫でる手が止まった。
「何……だと……?」
「どうやったら翼竜を実際に見て鳥だと思えるんでしょうね」
 まあ肢や翼の構造の違いに目が行かないからに決まっているのだが、翼竜を愛し抜いているつばきちさんには効果は抜群だ。人が冷や汗をかくところを初めて見た。
「大体はシノちゃん見せたら違いに気付くんですけどね」
「そうか……やっぱりシノちゃんはここに必要な人材なんだなあ……」
「始祖鳥も飼って「始祖鳥はこれでーす」ってやる手もあるんですけど」
「それだとコンセプトとずれるじゃん」
 始祖鳥はジュラ紀後期のドイツの動物だ。
「ここじゃあ寒くて始祖鳥は暮らせないですからね。えーっと、コンセプトのことと関連して「なぜ花鳥園なのにこの部屋だけ花が無いのでしょうか。寂しく感じました」と」
「そりゃしょうがないね」
「ほう。つばきちさんもここには花がないとおっしゃる」
 私がそう言うとつばきちさんは小首を傾げた。
「え?だってここは花の咲く植物が繁栄する前の……」
 そこでつばきちさんは立ち上がり、下の水辺を見渡した。今度は私が指摘するより前に気付いたようだ。
 ここには花びらは無い。しかし花そのものは、浅い水の中から生えた草の先で、黄緑のおしべをむき出しにして咲き乱れている。
「ホントだ……こりゃ黄色い!」
「私達が丹精込めて育てた地球史上最初の花、アルカエフルクトゥスがただいま満開を迎えております」
 つばきちさんは膝に手をついて座り直した。
「やられた」
「史上最初の花ー!って看板でも出しておかないとダメですね、これ」
「プテラノドンとか言ってる人の気持ちが分かったわ」
 誰であれ見たものに対してよほどの興味がないと、なんとなく知っているものの中に埋没させてしまうのだ。
 流石に可哀想になってきたが、もうつばきちさんに直接ダメージがいくものはなさそうだった。
「こっちはむしろ他の部屋についてです。「フラミンゴやペリカンも翼竜と同じくらい自然に飼ってあげてほしい」と」
「それ私も気になってた。羽切ってるもんね」
「あと、ハオプテルスは生き餌を食べれますしね」
 生きたリコプテラを餌として養殖するための設備は、実はとても高度なものだ。
 イルカやペンギンには一旦冷凍して寄生虫を殺した魚を与えるのが動物飼育の定石である。生き餌を与えるには魚を生かしたまま寄生虫だけを排除せねばならない。
 翼竜舎の裏にはリコプテラの生け簀と並んで、水族館でもたった一つの生き物になかなかここまでは、という浄水設備が幅をきかせている。生け簀の中は無菌室のようなものだ。
「古生物は野生の状態が見れないからこうしてできる限りのことをしてますけど、現生の動物の飼育法も変わるには……、時間がかかるでしょうね」
「まあ、ここだって別に自然じゃないよ。ゲゲちゃん達も多分、白亜紀のより真っ赤だし」
「栄養状態ですか」
「うん」
 結局いくら自然に近付けようとしてもきりのないことだ。今後の発掘で、当時の環境がここの環境とまるっきり違うものだったと判明しないとも限らない。
「自然の再現よりも、ベストな展示を目指すべきだよ」
 眼前で舞う紅白の翼は、少しは説得力のある展示ができていることを示していた。
「アメリカで、ここの十倍もある翼竜舎を作ってるらしいですよ」
「種類は?」
「アンハングエラ」
 ハオプテルスを翼長四メートル以上に拡大したような中型の翼竜だ。行動範囲がどれだけ大きかったかも予測が付かず、ここの十倍で足りるという保証はない。
「ちゃんと飛んでるところ、見たいね」
「良さそうだったら見に行きましょうね」
 つばきちさんは黙って頷いた。
 私も黙って残ったアンケート用紙を手渡した。後のには嬉しいことしか書いていないはずだ。
 「プテラノドンの仲間に色んな種類がいると知れた」「他の部屋で見た鳥と全然違う生き物なのが分かった」「ゲゲプテルスが綺麗だった」「ふんわりと飛ぶ姿に和んだ」「白亜紀の世界が思ったのと違ってびっくりした」、等。
 花鳥園は動物園や水族館と比べてあまりアカデミックな施設ではない。それでも、実物の生きて暮らす姿から伝わるものはたくさんあるし、それを読み取ってくれる人も少なからずいる。
 小刻みに頷きながら読み終えて、つばきちさんはおもむろにそれを畳み始めた。
「ありがとう」
 そのまま返してくれていいですよ、と言おうとしたまさにそのとき、アンケート用紙は白衣の胸ポケットにねじ込まれようとしていた。
 紙をつかんで止めなければ本当に貰って帰る気だったようだ。
「いやんセクハラ。私のほうが胸が大きいからって」
「やかましいわ。園長に提出するやつですから」
「じゃあ写真撮らせて、って」
 立ち上がった私をつばきちさんは追えなかった。膝の上にシノちゃんが跳び乗ったからだ。
 シノヴェナトルの跳躍力なら床からベンチの上の膝に上がることなどたやすい。シノちゃんはその場で座り込み、首と尻尾を体に沿わせて丸まってしまった。
「わあ、お客さんにもそんなのしたことないですよ!すっごくなついてますね!」
「やったね!って、おおーい!持ってかないでー!」
「これコピー取りますから。一枚多く取って分けてあげますよ」
「ホントに?」
 私はにっこりと微笑んでみせた。
「枚数設定を忘れなかったら。まあ大丈夫ですよ。ちょっと枚数のボタン押すだけですから、園長と話し込んだくらいでそうそう忘れたりしませんって。安心してシノちゃんと一緒に待っててください」
「フラグ立てる手が異様に丁寧だよ!」
 つばきちさんの悶絶を背に階段を下りながら、私はすでに舎内に追加する看板の図案を考え始めていた。とにかく伝えたいことを大きく前面に押し出してみよう。
 真横をハオプテルスの白い翼の先端がかすめ通った。
 プテラノドンにしてやれることは何もないが、ここの皆にはまだまだしてやれることがいくらでもある。
inserted by FC2 system